富士市にある岩本山実相寺駐車場から岩本山公園に登ります
今回は実相寺と岩本山公園以降の雰囲気が結構異なりますので前後編に分けて記事にします。前編は実相寺の境内を登ります。
地味だけど由緒ある古刹 岩本山実相寺
なぜ実相寺なのか?
といいますと昨年伊豆の観光地を巡っていて思うところがあり、ここはぜひとも抑えておきたいなと常々思っていたからです。
実相寺の山号は岩本山ですが、富士市の岩本山といえば梅や桜と富士山の写真で有名な公園ですよね。
こちらの実相寺の伽藍と言いますか境内は山肌に広がり山頂の岩本山公園と繋がっています。
そのため実相寺の境内から山頂の岩本山公園までが簡単なハイキングコースとなっているのです。
車は実相寺の駐車場に駐めさせてもらいます。総門脇から入りますとけっこな広さの駐車場がありますのでそちらに置かせてもらいました。
※ここ総門から背後の山の頂まで往復歩くハイキングコースです。
まずは初見で事前知識がないと総門と参道、さらにその奥に建つ仁王門からして意外に立派で少し驚くかもしれません。
総門は江戸時代の末期に再建されたものです。薬医門で、黒色であることから地元では「黒門」とも呼ばれているそうです。
気軽に入りますが、実はこちらのお寺は1145年(久安元年)に、鳥羽法皇の勅命により天台宗の智印法印によって建立された平安時代から続く古刹なのです。鎌倉時代の半世紀ほど以前の事ですね。
でもこちらのお寺が凄いのはそれだけではありません。
円珍の一切経(大蔵経)を守る実相寺
入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人に数えられる円珍は平安時代の天台宗の僧であり天台寺門宗(寺門派)の宗祖となった方ですが、その円珍は唐から一切経(大蔵経)を持ち帰りました。
一切経とは簡単に言ってしまえば仏教経典の総集です。その数五千巻あまりと絶句するほどの膨大さです。当時からしても何ものにも代えられない国宝級のお宝です。
しかも円珍はそれを二組持ち帰って来たのです。
一組はもちろんその円珍が治めていた天台寺門宗の総本山園城寺、いわゆる三井寺ですね、が所有します。
そしてもう一組の一切経はこちらの実相寺が作られたおりに収められたのでした。
そのような重要なお寺であり、往時には四十九院五百坊が連なる比叡山と並ぶ学問場であったそうです。
平安時代末期の最盛期には境内は4キロメートル四方の面積があったとも伝わっています。
え?何気に凄いですよね。
比叡山と並ぶと称されていたことも、当時でもかなりのお宝であったであろう唐から持ち帰った貴重な二組しかない一切経が三井寺と、ここ実相寺に収められていたことも。
そんなに凄いのに何でそれ程有名じゃないの? と思うかもしれませんが勿論それにはわけがあります。
その肝心の一切経のほとんどが現在はこちらに無いからです(爆)
詳しい話は後ほど一切経蔵の所で書かせていただきます。
でもだからと言って、ただの過去の栄光かよ!と突っ込むのは早とちりです。
こちらのお寺は日本史に出てくるほど重大な事件の舞台として価値があり、今でも知る人ぞ知る名刹なのですから。
参道を進むと仁王門があります。三間一戸の楼門形式で二階楼上にはお釈迦様と 十六 羅漢が安置されているそうです。
手前には池があり鯉が泳いでいますが、深みに一際大きな影が。これがもしかして「池の水全部抜く」で見かける雷魚とかなのでしょうか?
あ、写真はないですw
実相寺と立正安国論
時代は少しだけ下がり鎌倉時代になります。
鎌倉時代といえば源頼朝が大活躍して鎌倉が大いに発展し、伊豆なども賑やかになる時代ですね。
ここで仏教界に登場するのが日蓮です。言わずと知れた日蓮宗の宗祖です。
でも元は天台宗に入門しているんですよね。
日蓮は今の村山浅間神社の周辺にあった修験の一大伽藍富士山興法寺を訪れ、ここ実相寺の一切経を読みに寄ったようです。
その折、実相寺の学頭であった智海法印は、日蓮の考えに感銘し彼の弟子となり、日源と改名します。
その後の話しになりますが、日源が実相寺を統べるようになるとここ実相寺は日蓮宗に改宗しました。
二年にも及ぶ滞在の間に日蓮はお釈迦様の生涯の全てが書かれているという一切経を読みふけり、そこからこの世の天変地異の原因を、災いの原因を探した結論に至ったようです。
そして今の世を直すためには何をしなければならなのか纏めたのが、かの「立正安国論」です。そう、立正安国論はここ実相寺で産まれたのです。
当時、鎌倉時代は災害が相次ぎました。
日蓮は立正安国論でこれは人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じているからだと法華経以外を真っ向から否定しました。
もちろん浄土信徒は黙ってはおらず日蓮を襲撃しますが不発に終わりました。
しかし時の権力者である時頼もまた禅宗を信じていたのですから、時頼の信心を否定した日蓮は政治批判していると受け取られて伊豆に流されることとなります。
この時流れ着いた場所に現在建っているのが、以前の記事で紹介した城ヶ崎の蓮着寺です。
そうです、蓮着寺と実相寺は立正安国論で繋がっているのですね。
かたや誕生地で、もう片方はその結果というわけです。
しかし日蓮は立正安国論により反感を受けつつも、共感する者や信徒を増やしました。それが後の日蓮宗へと繋がっていくのでしょう。
そのようなわけでして日蓮の生涯や日蓮宗、いえ当時の日本の歴史を語る上でこの実相寺は意外と重要なターニングポイントと関わりのある地なんですよね。
因みにこちらは全国に14カ所指定されている霊跡本山の一つでもある重要な地なのです。
仁王門の少し先には鐘楼も。法隆寺東院の鐘楼と同じ様式なのだとか。
その奥には庫裏があり手前には桜の木があります。庫裏では御首題を頂けるようですね。
参道を進むと右脇に書院があり、その上の段位立つ本堂の屋根が伺えます。
参道は階段となり、上がって右手に本堂です。
本堂前には立派な日蓮像が立っております。
因みに実相寺は日蓮宗の霊跡本山に数えられている有り難い地でもあります。
本堂そのものは近代に入ってから建てられたもののようですね。昭和 30 年焼失し昭和 37 年再建されたようです。
本尊は、十戒曼荼羅と日蓮上人像です。
また参道に戻りますと逆側には魔王堂があります。
日蓮は純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると説いています。
第六天魔王は修行が進むとさまざまな障りで仏道修行者の信心の邪魔をしますが、それらに負けず一途に信心を貫くものにとっては、さらなる信心を重ねるきっかけとなるにすぎない。なぜなら、信心を深めることにより、過去世からの業が軽減・消滅し、さらなる信心により功徳が増すきっかけとなるとのことです。
その為こちらにも魔王堂があるのでしょう。
さて階段を登ると祖師堂が正面に建っています。
こちらの方が参道正面で佇まいも美しく思わず本堂のような気がしますが違うようですね。
祖師堂は名の示すとおり、建物の中に日蓮の像が収められているようです。日蓮上人の直弟子日法上人が彫刻した祖師像だそうです。
総門から参道を真っ直ぐ進んだ突き当たりにこちらの日蓮の像が収められた祖師堂が建っている構造は、この実相寺の性格を良く現しているのかもしれません。まさに日蓮ありきのお寺なのでしょう。
祖師堂の左手には道があり奥に続いていますが、高座石を眺めるだけに留めて右に行きます。
高座石は日蓮が学僧に講義したとき腰掛けたと伝えられる石です。
右に行きますと開基廟歴代のお墓などが並び、祖師堂の裏手に回りますと日朗上人米とぎ井戸があります。日朗上人が日蓮上人のために米を研いだと伝わっています。
そのまま建物の下を潜って逆に出ますと階段があります。
その上がいよいよ一切経蔵となります。
一切経の行方は
実相寺は円珍が唐より持ち帰った貴重な一切経を管理していました。
しかしその貴重な一切経は鎌倉時代に幕府によって召し上げられてしまったのです。
実相寺衆徒愁状によると「5000余軸の経巻、鎌倉に召し取られる」とのことです。
多くの究学の徒が学んでいたこの地の心臓部を権力によって奪われたのです。
で、そこで「はて?」と頭に思い浮かぶものがあります。
それは修善寺の月指殿です。
月指殿は鎌倉幕府二代将軍、源頼家の冥福を祈り、母北条政子が建立し、宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏などを収めて修禅寺に寄進したものです。
こちらのものは宋版大蔵経なので唐より円珍が持ち帰ったものよりも新しいものなので別物だとは思いますが、まさか鎌倉幕府が奪った一切経がこれらに混じって一緒に散失してしまっているなどという事はなかろうか、とふと疑ってしまいました。
しかしきちんと残っていれば円珍の一切経として今でも知られて有名だろうし、やはり散逸したかその大半は既に失われてしまっているのかもしれませんね。
ただそのまま実相寺にあった場合も、武田氏が攻めた折に焼失していた可能性も高いわけでして、どのみち失われる運命だったのかもしれません。
それではこちらの一切経蔵が空かと言えば――そうではありません。
こちらの蔵には現在も宋版一切経の一部と、何と6174巻1432経の天海版一切経が収められているのです。天海といえば、あの天海です。
時代はずっと下がってしまいますが、こちらの天海版は徳川家康の三十三回忌供養のために天海が作らせた日本で最初の版本一切経だそうです。
日蓮宗では当時全国で八つのお寺に収められたそうですが、こちらのものもその一つだとのこと。
しかもこちらのものは閲読するためではなく、日蓮を偲ぶために収められたため人の手に触れることもなく、散逸せずにいまだに残っているようです。
こちらの経蔵の向拝の七福神は三島大社の彫刻でも知られている江戸の彫刻家小沢半兵衛作とのことです。
写真に収めたのですが、変な反射が入ってしまって上手く見えません(汗
さてさてこれで終わりかと思いきや、境内はまだまだ続きます。
奥に続く階段を登りますと山腹の少し開けた場所に今度はお寺には不似合いな天満天神宮が。
天神さんといえば菅原道真を祭神とする神社です。学問の神様として有名ですね。
先にも記しましたがこの地はかつては一切経を収めたお寺で、多くの僧が学徒としてこの実相寺に集まって研削していた歴史があります。
その為、学問に関する天満天神宮があるのも頷けます。
神社の前にはちゃんと絵馬がかかっていましたが、ご利益はあったのかな。
こちらの天満天神宮の裏側の少し高い場所には常経稲荷。まあお稲荷さんです。
ここからは少し階段を登ります。親切にも竹を切って作った杖が置いてありますよ。
この階段を登った先、道の折れるところにあるちょっと見晴らしの良い場所にハイキングコースの中間点の標識がw
そう、岩本山公園まではまだ半分なのです。
もう一踏ん張り階段を登りますと左手に鐘楼が。
こちらは一人一回だけ突くことが許されていますので心を込めて突きましょう。山の中なので響きます。
もう一つ階段を登ると七面堂です。身延の七面山から御分体を戴いてお祀りしてあるそうです。
一度は本家本元の七面山に登ってみたいとも思いますが、ハイキング気分で訪れいい場所なのかと。道も険しそうですし、かなかなか難しいです。
そしてその先には八所権現があります。
こちらはなりは小さいですが智印法印が実相寺を開いた際に守護神として勧進したもので八百年の歴史を持つ由緒ある神社です。
道はまだまだ続きますが実相寺はここまでとなります。
実相寺は一つ一つの堂などはさほど大きくも立派でもありませんが、境内は斜面に開けていてそれなりに歩きではあります。
またこの地の歴史を頭に入れて歩きますと、目で見る以上に感じるものもあります。気になったら足を運んでみてください。
ここから先はハイキングコースとなって岩本山公園に続きます。もう、すぐそこですけどね。
続きは後編で。
実相寺の駐車場などの基本情報
地図
近隣からのアクセスと駐車場
JR富士駅北口より商店街を抜けて真っ直ぐに北上。
県立富士高のある交差点で左折、後は総門に突き当たるまでひたすら道なりに真っ直ぐに進みます。
駐車場は総門右脇から入ります。
お寺に用事がある方や参拝者のための駐車場です、訪れたのならきちんと参拝してください。
駐車料金は無料
歩くのがお好きな方はJR身延線竪堀駅より歩けます。
富士高運動部はトレーニングで実相寺まで走って階段登って帰ってくるとか何とか、という話しもあるようですからまあ大丈夫でしょう。
公式情報
岩本山実相寺
416-0901 静岡県 富士市 岩本1847
電話番号 0545-61-0909
後編に続きます。