ふじ楽いず楽

富士山周辺と伊豆の観光スポットや遊ぶところを紹介するブログです

富士川楽座からぷらぷら(小休本陣、新豊院大観音祭、富士川民俗資料館)

道の駅 富士川楽座を起点に富士川岩淵を歩きます

とりあえず今回の起点でもある富士川楽座のことからです。

富士川サービスエリアの富士川楽座は日本一の道の駅

富士山の見えるサービスエリア

富士川楽座と富士山

富士川楽座と富士山

富士川楽座は多くの人が立ち寄ったこととがあるであろう東名高速道路、富士と清水のICの間にあるサービスエリアでもある施設です。

それもそのはず、何とここの施設は2000年開設から数えて2017年には来場者数6000万人を突破し、平均年間利用者数延べ350万人に及び、さらに目標年間来場者数400万人を目指すと豪語する全国で一番大きな道の駅なのです。

そんなわけでしてこちらの施設はさすがに道の駅全国一だけあって、静岡県東部における集客施設に於いてもナンバーワンの地位を維持している実に化けもじみた施設なのです。

瞬間的ですと富士宮にある浅間大社などは初詣に23万人ほど人が寄るので抜かれることももちろんありますが、こちらは東名高速のサービスエリアであるという立地から年間を通して常に人が流入していくるという好条件です。

でもどうしてそんない人が寄るのかということですよね。
これはもう決まっています、富士山が見えるからですw

こちらは富士川岸の小高い場所にあり、富士川を挟んで岩本山の先に富士山が見えるという景観の良い場所だからです。

もちろん東名で首都圏へ向かう車が残りの距離を考えて立ち寄るのに都合の良い距離であり、ここによって次は海老名などと考えると、一度休むのに丁度良い距離であるなどの条件もありますが、やはり富士さんの影響は大きいかと思います。

ここではないですが実際、わたしは中央高速に乗ると、行きには必ず八ヶ岳PA に寄ります。移動途中にここから八ヶ岳を眺めるのが結構好きです。それと同じではないかと思います。

エクスパーサ富士川

エクスパーサ富士川

※こちらの建物が高速道路のサービスエリアの施設エクスパーサ富士川になります。手軽に食事を済ませるならこちらが良いでしょう。

 

道の駅でありますからお土産コーナーや食事処がメインなのは当然です。
レストランもありますし、フードコートもサービスエリアの施設とこちらで2カ所もあります。

富士山フードテラス

富士山フードテラス

※こちらは富士川楽座内のフードコートです。富士山を眺めながら食事が楽しめます。

さらにこちらにはそれ以外にも常設でプラネタリウムMEGASTAR Ⅱ-Aを設置している直径14mのドームシアターわいわい劇場、体験型アミューズメント施設の体験館どんぶらをはじめ、ギャラリースペース、展望ラウンジ、フリースペースなども設置されています。

外では農産物を売っていますし、由比港関連のお店もあったりもします。狭いですがドックランもありますね。

また富士川楽座は下道からの利用も出来ます。
はじめは普通の駐車場だったのに、気が付いたら大きな立体駐車場まで出来ていました。
この辺りは大きな施設が少ないせいもあって意外と地元の人の利用が多いです。
それを見越してか、ここでよくイベントなども行われます。それがさらに人を呼び込んでいるのでしょうね。

 

evetopi.fujirakuizuraku.com

 

そういえばどんぶら前に素粒子ニュートリノが質量をもつことを解き明かした富士市出身の物理学者である戸塚洋二博士を記念した「戸塚洋二ニュートリノ館」というスペースもありましたね。
こちらではニュートリノ検出のために作られたスーパーカミオカンデの説明などもあります。

光電子増倍管

光電子増倍管


光電子増倍管の実物も展示されているのですが、スーパーカミオカンデでは地下1,000mに建設され5万tの超純水を張り、この光電子増倍管が13,000個ほども埋め込まれているのですから想像を絶します。
ここではその一端に触れることができます。

そういえば最近、何かを作っていると思ったらこんなのができましたね。名前を募集しているとか。

富士川楽座と富士山とミニ富士山

富士川楽座と富士山とミニ富士山

裏側はカラフルで階段が付いて登頂できます。富士講の富士山かw

大観覧車 フジスカイビュー

富士川楽座 観覧車フジスカイビュー

富士川楽座 観覧車フジスカイビュー

そして近年建てられた観覧車がこちらの新たなシンボルマークになりつつあります。

フジスカイビューの名の通り高いところから富士山を見ることができます。

フジスカイビューからの富士山方向

フジスカイビューからの富士山方向

川向こう、富士山の手前は岩本山です。

 

海の方の景色も綺麗ですね。

フジスカイビューからの海方向

フジスカイビューからの海方向


夜になると観覧車のイルミネーションが綺麗です。
運が良いと(悪いとw)乗るときに足許がシースルーのゴンドラにあたります。また一台だけですがペットと一緒に乗れるゴンドラもありますよ、しかもペットは無料で乗れてしまいます。因みに料金は3才以上700円です。

 

基本的にはいろいろあって面白い場所なので、東名を利用する方のみならず、この辺りに遊びに来た帰りに下道から立ち寄ってみるのもいいかもしれませんよ。

 

毎年、周年イベントを行っています。

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富士川楽座の基本情報

地図

近隣からのアクセスと駐車場

東名高速上り線、清水ICの次です。

一般道からですと旧国1の396号の富士川橋の西側、富士川沿いの10号線を北方向に進み、東名高速を潜った先、左手に施設が建っています。手前にスマートインタチェンジの入口がありますので入るときは気を付けてください。
分かり難い場合はその先の信号機を左折しますと左手に立体駐車場の入口が、さらにその先には観覧車の下付近の駐車場があります。

どちらも無料です。

公式情報

富士川まちづくり株式会社
TEL. 0545-81-5555(9:00-17:00)

外部サイト 「富士川楽座」利便性の高い世界遺産を望む風光明媚な道の駅|公式

 

大名の休憩所 小休本陣 常盤家住宅(国登録有形文化財)

 

富士川楽座の駐車場に車を止めて、今回の目的地の中で一番遠い富士川民俗資料館まで歩きますと片道およそ2km程となります。

小休本陣常盤家住宅以外は駐車場があります。因みに富士川楽座からは小休本陣常盤家住宅は片道1.3km程の距離です。

 

旧東海道の香り感じる


富士川楽座からはETCの脇の歩行者通路から外に出ます。

すぐ道の反対側に手打ちそば屋があります。SAの食事に飽きた方には良いかもしれませんね。ここのお店は雨が降ると割引したりとちょっと変わっています。

さて道路に出まして道沿いに下り方向に進みますと東名の下を潜ります。
道をそのまま真っ直ぐ坂を上りあとは道なりに途中見晴らしの良い場所を通ります。

その間に清源院の方を通ると気持ちショートカットできますが、そういうのが好きな方はご自分で確かめてください。

途中で道がかなりくねりますが、そのまま進みますとやがて目的地の小休本陣 常盤家住宅へ到着します。

小休本陣 外観

小休本陣 外観

写真の奥から歩いて来ます。黒板塀が目印になります。

東海道の間宿・岩渕の小休本陣として大名の休憩等に利用された施設です。現存する建物は安政大地震以降に改築されたもので、庭園にある槙は町指定文化財に指定されています。
無料で見学ができてボランティアガイドが丁寧に解説をしてくれます。

でもどちらかというと女優、常盤貴子(ときわ たかこ)の父方の実家であると言った方が世間的には分かり易いかもしれませんw

小休本陣 薬医門

小休本陣 薬医門

1601(慶長6)年、徳川家康により江戸から京都を結ぶ東海道に宿駅制度が定められます。

翌7年には富士川の渡船役が村岸の富士郡川成島から岩渕村へ移ったことにより渡船も岩渕村請けとなり、東海道五十三次の宿場に課せられた伝馬役と同様な重要性を持つことになりました。

しかし当時の岩渕村には街道沿いに街並みらしいものがなく、旅行者が休憩する施設もありませんでしたので、幕府は1609(慶長14)年に伊奈忠次に同地を検地させ、宿駅と同様の街並みにするよう命令を下します。これが東海道の「吉原宿」と「蒲原宿」の間に位置する「間宿(あいのしゅく)」岩渕の始まりです。

その後、大規模な水害にあったり、地震で崩壊したり、しまいには宝永の大噴火のせいで岩淵は壊滅的被害を被ります。

幕府は震災復興の手伝方(幕府から任命された復興援助をする大名)真田伊豆守幸道(信濃松代藩の藩主)に命じ、救済金でもって街並みを高台に移転することにしました。1707(宝永4)年12月から翌年閏正月までの3ヵ月間をかけて、東海道の付け替え、家々の所替を行いました。

この町並みは街道にそって東側に77軒、西側75軒が立ち並び、その形態は宿駅に劣らぬものであったと言われていました。

が、こちらもまた1854(安政元年)年に安政東海大地震が起こり、家数364戸の内344戸が全壊、残り20戸が半壊という大被害を受け、復興事業は長期に渡ったそうです。

小休本陣常盤家住宅 通り土間

小休本陣常盤家住宅 通り土間

 

※この奥に台所、外付けで五右衛門風呂があります。

 

富士川の渡船役の渡船名主を10人が連番で勤めていました。

常盤家(常盤弥兵衛)もその一つであり、対岸の富士郡川成島から岩渕村へ富士川の渡船役が移ったおり、同じ渡船名主である齋藤縫左衛門家、齋藤億右衛門家とともに河東(現在の富士市)から移住してきたそうです。

以来、常磐家は渡船名主を世襲で受け継ぐとともに村方名主も年番で勤めてきました。
その上、東海道・岩渕間宿の小休本陣として重要な役割を果たしてきたわけです。

常盤家が小休本陣をいつ頃から勤めたかは分かっていませんが、常盤弥兵衛文書の中に「寛永年中(1624~1644)に御小休を仰せ付けられた」とあることから、江戸時代初期には既に小休本陣を勤めていたとみられています。

その後、1872(明治5)年に庄屋・名主・年寄が戸長、副戸長に改められると、常盤家は岩渕村の戸長、副戸長を歴任し、さらに1888(明治11)年に岩渕村・中之郷村・木島村が合併し、富士川村となると収入役を勤めした。

常盤家は富士川町内でも江戸時代から続く由緒ある家柄なのだそうです。

小休本陣常盤家住宅 前土間

小休本陣常盤家住宅 前土間

先程も書きましたが、岩渕村は宿と宿の間にある宿で、主として通行の諸侯や身分のある諸家の休憩のみを目的とした施設であり、原則として宿泊は許可されていなかったもようです。

他には「立場(たてば)本陣」とも言われていたそうです。

その為、小休本陣はその名の通り、休む場所であり宿泊施設ではありませんでした。

現在の邸宅は史料から安政の大地震後、1856(安政3)年以後に建造されたものと判明しています。その後、建物を建て替えた記録がないことから、現在の建物は安政3年以降の早い時期に建造された江戸時代末期の建物と考えられています。

また構造的には、建物は町に唯一残った名主及び小休本陣の建物で、一般の民家にはみられない形態をしています。

現在の間取りは家相図のものより一回り規模が小さくなっていますが、土間部分が通り土間と前土間を併用し、居室部分を並列6間取り型にと、さらに2間増やした特色ある間取りとなっています。

小休本陣常盤家住宅 母屋

小休本陣常盤家住宅 母屋

「六間取り型」と呼ばれる形式をもつ民家は一般の民家にはなく、江戸時代に名主などの役職を勤めた家柄か、その土地で財産のある民家に限られているとそうです。

居室の一番奥には大名などの賓客が座った「上段の間」と呼ばれる部屋があります。
この部屋は隣の部屋よりも床を3寸、9cmほど高くして床の間と違い棚を設けて長押しを廻す格式の高い作りとなっています。

小休本陣常盤家住宅 上段の間

小休本陣常盤家住宅 上段の間

また表門は寺社などで使われる「薬医門」という形式で簡素ながら重厚な造りとなっています。

一部改造がおこなわれてはいますが、柱の配置や構造材は建築当初のものと推定され、江戸時代末期の姿を残す歴史的価値の高い建物でしょう。このため、平成10年に国の有形文化財に登録されました。

富士川町は「常盤家住宅」を貴重な文化財建造物として考え、この建物を保存するため、平成12~15年に渡り常盤家の復原工事を行いました。

 

こういう建物は人が暮らし続けると生活の変化で改築が繰り返されてしまうため元の姿はなかなか残しにくいものです。

現にわたしの親戚も近年までこの建物よりも骨格自体は古い家に住んでいました。でも、人が暮らしているとより生活しやすいように改良されるので元の姿は本当に柱や梁くらいしか残りません。

多分こちらの建物も近代、少なくとも戦後は人が住んでいなかったのではないでしょうか。その上である程度の保存状態が保てていないとならないわけで、古い姿のまま生き残る建物は貴重ですね。

それにしてもやはり6間の続き部屋は広いですね。それに内部から眺める屋根も大きくてとても立派でした。

そして何よりも気に入ったのがこちらのお庭の隅に聳えるマキの木です。

小休本陣常盤家 イヌマキ

小休本陣常盤家 イヌマキ

樹齢は313年とボランティアの案内の方は仰っていたと思います。木の幹の迫力に飲まれてちょっと記憶が定かではありません。

高さは10メートル、根回り7メートルとなかなかのサイズです。

小休本陣常盤家 イヌマキの幹

小休本陣常盤家 イヌマキの幹

でも正直この位のサイズですと伊豆あたりで見かけます。しかし幹の持つごつごつとした表皮の迫力はなかなかのものでした。いかにも古木といった風情がたまりません。とても気に入りました。

小休本陣常盤家 イヌマキを外から

小休本陣常盤家 イヌマキを外から

小休本陣常盤家住宅の駐車場などの基本情報

地図

近隣からのアクセスと駐車場

近くに正規の駐車場は見あたりません。

やはり富士川楽座に駐めておくのが安心な気がします。

もしくは後ほど紹介する富士川民俗資料館の駐車場が無料で利用できます。係員がいれば声をかければ大丈夫でしょう。

後は少しの時間だけ駐めたい場合には、小休本陣の道を南に向かって進み初めての交差点の所に八坂神社の参道と鳥居がありますのでその鳥居の前に少しだけ駐車できるスペースがあります。

くれぐれも無断で脇の消防団の敷地に駐めないでください。緊急時に車が出せないと大変迷惑です。

公式情報

公開日 土・日・祝(平日は要事前予約)

公開時間 9時~16時

休館日 年末年始 博物館が指定した日

見学料 無料

 

お問い合わせ先

富士山かぐや姫ミュージアム(富士市立博物館)

TEL.0545-21-3380

静岡県富士市伝法66-2

外部リンク 富士山かぐや姫ミュージアム|公式

 

日本一の観音画開帳 新豊院大観音祭

小休本陣を出まして旧東海道を真っ直ぐ進みます。
この辺りは道が細い割りに交通量がわりと多めなので歩くときは注意してくださいね。

真っ直ぐな道の先に大きな木が見えるかと思いますが、その道の中頃より手前右側の参道奥に光福山 新豊院は建っています。

この日は一年に一度の日本一大きいといわれている観音画像開帳のある新豊院大観音祭の日です。

 

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毎年、この日この時だけしか見ることができません。雨が降ると屋内で一部しか見ることができないたいへん貴重なものです。

光福山 新豊院 参道

光福山 新豊院 参道

新豊院は曹洞宗のお寺で、由来は正治元年(1199)真言宗 光明山 心包院として創立されたそうです。

天文4年(1535)に藤枝市 金龍山 心岳寺三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗されます。

延宝7年(1679)には六世海印道空大和尚の代になり伽藍が整備されて光福山新豊院と改められたそうです。

こちらの三つ葉葵は代々寺紋として伝承されているようです。

 

光福山 新豊院 山門

光福山 新豊院 山門

さっそく門を通りお祭りで出店の並ぶ賑やかな参道を進みますが、目の前には朱く塗られた山門が建っています。薬医門で江戸時代初期のものだそうです。

で、もう本堂の裏山に広げられている観音様がお顔を出していますねw

でも慌てない、慌てない。とりあえず本堂で手を合わせます。

光福山 新豊院 本堂

光福山 新豊院 本堂

で、脇にあるこちらをなでなで。ちょっとかわいい。

光福山 新豊院 地蔵様

光福山 新豊院 地蔵様

横には観音堂がありこちらは縁結びの御利益があるそうです。その観音堂を回りますといよいよ日本一大きな観音様の絵とご対面です(さっき見えていたことは忘れる)

光福山 新豊院 観音堂

光福山 新豊院 観音堂

観音堂を回ると真正面に見えました。大きいですね、やはり大きいです。
こちらが手書きなのだから凄いです。
初代の画は大正j時代に昭和天皇ご成婚を祝して製作され、平成11年に240反(45m×18m)へ複製したものだそうです。

光福山 新豊院 観音画ご開帳

光福山 新豊院 観音画ご開帳

一年に一度、山の斜面にこれを広げるための櫓が組まれていることも凄いですね。
皆さんの気持ちがこもっていることが感じ取れます。

まさに一年に一度きりの貴重なご開帳です。その姿を拝見するだけでご利益がありそうですね。

この日は午後に訪れたために残念ながら絵図は陰ってしまいました。しかし光芒入りの何となく神々しくw写真が撮れましたので良しとします。

光福山 新豊院 観音画ご開帳2

光福山 新豊院 観音画ご開帳2

光福山 新豊院の駐車場などの基本情報

地図

近隣からのアクセスと駐車場

JR富士川駅方向から真っ直ぐに坂を上り道なりに進みます。
途中、鈎の字に折れ曲がり直線に入ったところの中頃左手に光福山新豊院の入口があります。

富士川楽座からですと東名沿いの道を進み潜ったところで東名沿いに右折、坂を上ります。
そのまま道なりに進みますと交差点がありますので右折。こちらの交差点、対向車は一時停止がないので気を付けてしっかりと止まってください。
そのまま道を進みますと右側に入口があります。看板と公民館が目印です。

車は門の前にも数台駐められますし、参拝者ならそのまま門を通り参道を進むと山門のあたりに参拝者用の駐車場があります。

公式情報

〒421-3305 静岡県富士市岩淵328番地

TEL:0545-81-0246 FAX:0545-81-0085

外部リンク 静岡県富士市の寺院|光福山 新豊院|お観音さんのお寺|公式

 

茅葺き屋根の富士川民俗資料館

再び旧東海道に戻りたいところですが、あの道は細いわりに車の交通量が多いので脇道を行くことにします。

参道を中頃まで戻りますと右に脇道がありますのでそちらに入ります。
道は小学校に突き当たり学校の敷地に沿ってくねくねと折れ曲がり、やがて旧東海道に出ます。

横断歩道を渡り左に進みます。

すると道路はくねりと曲がり道を挟んで二本の大きな木があるのが見えてきます。
こちらの木が史跡である「岩渕の一里塚」です。

生憎写真はありません。訪れたときは木の手入れをしたばかりで枝もありませんし、まだ新芽もないまる坊主だったのでつまらないので写真には収めませんでした。

こちらの一里塚は江戸時代に築造された東海道の里塚だそうです。

慶長9(1604)年2月、幕府は東海道の一里毎に5間(約9メートル)四方の塚を築いて榎を植え「一里塚」と呼び大名等の参勤交代や旅人の道程の便を図ったとのこと。

この一里塚は、起点である江戸日本橋から37里目にあたるそうです。

ここは岩渕村と中之郷村の村境で付近には岩渕名産「栗ノ粉餅」を売る茶店が立ち並んでいたとも。

ただ東側の塚の榎は虫害のため昭和42年枯死してしまったので昭和45年3月、2代目を植えたものだそうです。その為少し小振りでしたね。

写真はまた緑が繁った頃に訪れて収めたいと思います。

その一里塚には行かずにそのすぐ手前右手、南の方に茅葺き屋根の建物があります。

旧東海道を逸れてそちらに向かいます。

その建物が富士川民俗資料館となっています。

富士川民俗資料館……

富士川民俗資料館

富士川民俗資料館


富士川民俗資料館はもともとは富士川町立歴史民俗資料館だったものです。富士市と合併したおりに富士川民俗資料館となりました。

少し前まで耐震工事をしていたようで古めの資料だと内覧できないことになっていますが現在では公開されています。

こちらの建物は南松野桑木野の大家と呼ばれた稲葉家の建物で、18世紀中頃(江戸時代中期)のものとみられます。
昭和47年に現在の場所に移築・復原して民俗資料館として開館したそうです。

構造的にはありふれたもので大きな土間と座敷で構成されています。座敷は田の時に仕切られそれぞれの間はヒジロ、ヒロマ、ナンド、デイと呼ばれます。

館内に展示してある約200点の民具はすべて昭和30年代までに旧富士川町内で使用されていたものだということです。

 

まあ、正直いいますと

富士川民俗資料館 展示物一部

富士川民俗資料館 展示物一部

個人的にはあまり見るものがありませんでした。
懐かしい思えるほど身近なものでもなく、興味を持てるほど古いものでもなく、下手をすると自宅や親戚の家の物置の中に積んであったがらくたと大差ない感じにしか思えませんでした。すみません、田舎者なんでw 物置に数十年年くらい前のものが転がっていたりします。
そのためちょっと期待はずれでしたね。

でも建物の建つこの場所は良い場所でした。
かつて水害にあったおりに東海道はこの高台の地に移動したそうですが、この建物はその高台の縁に建っています。
その為東側がとても開けて富士市の方向が良く見えました。
とても気持ちが良かったです。

富士川民俗資料館 駐車場からの眺め

富士川民俗資料館 駐車場からの眺め


ただこの断崖がかつて富士川が抉った痕跡なら良いのですが、もしかして富士川断層?などと頭を過ぎり、おもわずちょっと後退りw

富士川民俗資料館の駐車場などの基本情報

地図

近隣からのアクセスと駐車場

JR富士川駅方向から真っ直ぐに坂を上り道なりに進みます。
生姜港に突き当たるとみちは右に曲がり「岩渕の一里塚」に向かいますが、その手前で右折。真っ直ぐ進むと駐車場があります。

駐車場 普通車10台ほど 無料

公式情報

富士川民俗資料館(分館) 静岡県富士市岩渕8-1

開館日 土・日・祝

開館時間 9時~17時(4月~10月)9時~16時30分(11月~3月)

休館日 年末・年始(12月28日~翌1月4日)

入館料 無料

備考

問い合わせ先 富士山かぐや姫ミュージアム(富士市立博物館)

外部リンク 富士山かぐや姫ミュージアム|公式