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韮山反射炉(世界文化遺産)と江川英龍

※平成27年7月に韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。

 

世界文化遺産の韮山反射炉

韮山反射炉

韮山反射炉

富士山の構成遺産と並ぶ価値

 

韮山反射炉という名称に聞き覚えはありますか?

平成27年7月「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 」というものが世界文化遺産に登録されました、その構成資産の一つがこの韮山反射炉なのです。

本来は九州の産業遺産登録でしたが、こちらに萩、釜石、ここ韮山を含め、幕末から明治にかけての日本の産業革命を担った現存する重要な施設を含めて「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として登録が認められたのでした。
ある意味、こちらの韮山反射炉は富士山の構成遺産に匹敵する程の価値を持つともとれる重要な施設なのです。

天保11年(1840)のアヘン戦争を知り、西洋諸国の怖ろしさに危機感を憶えたこの地の代官、江川英龍(えがわ ひでたつ)は自国で精度が高く飛距離の長い洋式砲を製造するために反射炉の建造を提案しました。それが嘉永6年(1853)に黒船が現れたことで実現化しました。

はじめは下田で製造を始めましたがペリー艦隊の水兵が建設地に入り込むという事件が起こり、秘密を守るためにもここ江川英龍の収めていた韮山に国営の反射炉を建てることになりました。

江川英龍は蘭学を学び反射炉の研究を続けてきましたが独自で蘭書片手に反射炉を建造するのは苦難を極めたそうです。

着工から完成まで3年半の歳月でしたがその間に江川英龍は亡くなってしまいます。

安政4年(1857)に反射炉は完成し、付随する工場と共に稼働してこの地での大砲の製造が始まりました。

この幕末期には様々な地で反射炉の製造が進められましたが、完成し実際に稼働して大砲を鋳造したのはここ韮山と萩の反射炉だけだったそうです。それからも如何にこの反射炉が貴重なものかわかります。

現存するのはそのうちこの反射炉本体のみですが、こちらは伊豆石を積み上げて造られ、中の耐火煉瓦は天城の土を焼いたものだそうです。

柔らかく加工しやすい凝灰岩の伊豆石は昔から伊豆の各地で切り出されて色々と利用されていいますし、この時培った耐火煉瓦の製造技術は明治時代の産業の発展に大きく寄与したそうで、韮山反射炉の存在は国の産業遺産であると共にやはり伊豆の遺産でもあるということですね。

 

韮山反射炉の駐車場などの基本情報

地図

 

近隣からのアクセスと駐車場

三島方面より旧136号を南に下り、伊豆箱根鉄道駿豆線、伊豆長岡駅を通過すると反射炉入口という信号のある交差点がありますのでそこを左折。

そこから道なりに進みますと韮山反射炉の標識がありますので指示通りに右折します。

後はそのまま進めば無料の駐車場に到着です。

 

公式情報

駐車場   乗用車100台以上 無料
料金    個人大人500円 小・中学生50円
       障害者無料(介助者2名まで無料)
営業時間  4~9月:9:00~17:00
       10~3月:9:00~16:30
定休日   毎月第3水曜日

引用元 伊豆の観光情報 伊豆の国市観光協会|公式サイト

 

江川英龍(えがわ ひでたつ)

世直し江川大明神

 

この反射炉を造った江川英龍(えがわ ひでたつ)は幕臣でありながら先見性を持ったなかなか人物でした。

 

江川家は韮山代官を代々勤める由緒ある家柄で英龍はそこの次男坊として生まれます。家を継がなくてよい気楽な身分の英龍は若い頃は剣や芸術を嗜みなかなかの腕前でした。

しかし長男の死によりその運命は一変。急遽代官を引き継ぐ立場となりました。しかしそこでも彼は才能を発揮しました。二宮尊徳を呼び寄せて農地改良を行い農民の信を得て「世直し江川大明神」などと呼ばれ親しまれました。

また一方で若い頃に知り合った同門で気の合った斎藤弥九郎が「練兵館」を造るのを手助けもしていいます。

 

練兵館といえば長州藩士が多く学んだことでも有名な道場ですね。

英龍もそれらの人々と接し、先進的な考えを持つ人々と交流し蘭学を学び西洋砲術を収め全国に普及させました。

 

お台場を造らせたのも英龍です。

海防問題に強く関心を持ったのは伊豆という江戸の海の入口の地を治める立場からすればごく当たり前のことなのかもしれません。

そしてそのお台場に鉄製砲を並べるために韮山反射炉は建てられたのです。

ただ幕府内では蘭学を嫌う勢力も強かった事もあり、英龍はなかなか能力を振るうことが適いませんでした。お台場の計画も途中で横やりが入り頓挫しています。

また幕内では先進的であっても開国派、倒幕派からすれば英龍は旧弊な保守的な枠の中の人間でした。

 

そういう意味では秀でた才能を持ちながらもどちらの勢力にもなれない中途半端な立ち位置だったのでないかと思えます。

先進的な考え方を持ちながらも由緒ある江川家の当主の地位を継いでしまった彼の立場を考えると背負っているものが大きすぎたのかもしれません。

 

それでも彼の先進性は今でも伺うことはできます。

江川英龍は外国からの海岸防備に農兵の採用を試みます。

農兵とは平時は農民として田畑の耕作に従事している者たちが、異国船来航などの非常時には、武器を持った兵士として活動することを可能にする制度です。でもこんなことが当時の幕府に許せるわけがありません。

何しろこんなものを採用しては武士の面子丸つぶれですからね。武士は戦闘集団として地位を築き国を治めていたわけですから、自分たちの役目を手放すことは既得権益も手放すことになります。いわば武士の存在理由が問われる社会構造改革ですから。

 

それでも江川英龍は韮山代官領の農民に軍事的な訓練を施し、西洋式軍隊を日本で初めて創ったの英龍です。今でも使われている「気を付け」「廻れ右」などの号令はこの時に生まれたものです。

ペリー再来航の際には、アメリカと交渉の席に代官所の手代らと共に金谷村の農民からなる一隊を鉄砲隊として随伴させています。

 

でも幕府が農兵を認めるのはこれより随分後のこととなります。しかしそれこそがあの新選組を産み出すことに繋がっても来るわけですね。

それは後の武士の廃止や軍隊や徴兵などにも少なからず影響を与えたのではないでしょうか。

 

そんな江川英龍が目を付けたのがパンでした。

英龍は「パンの祖」とも呼ばれています。

種子島の伝来からパンは伝わっていましたがキリスト教の排斥によりそれ以前のものは廃れていたようです。この時代に改めてパンを焼いて広めたのがやはり英龍です。

パンは携帯しやすく日持ちするので兵糧として優れていたのです。

ただこちらのパン、日持ちするだけあって水分量が少なく固い、それはもう、そのままではかじれないほど固いパンですw

興味のある方は反射炉のお土産物屋などで再現したパンが手に入るんじゃないかな?

江川邸の庭の紅葉

江川邸の庭の紅葉

 

江川英龍と云う人物はその他にも幾つも逸話を残すとても面白い人物です。

その彼が生まれ育った江川邸は現在、重要文化財として残され一般開放されています。住所が伊豆の国市韮山韮山1というのがいかにもここが中心という感じですね。

お勧めの時期は「秋の内庭公開」の時期です。
こちらのお庭には立派なもみじの木があり紅葉はとても綺麗です。

 

江川邸の駐車場などの基本情報

地図

 

近隣からのアクセスと駐車場

韮山反射炉より先程駐車場に入るために曲がった交差点に戻ります。

そしてそこを右折。こちらの道は旧旧136号になります。

こちらの道をしばらく北進しますと信号機のある交差点に出ます。

そこを右折。道なりに進みますとまた信号機がありますので今度も右折。

そのまま進みますと右側に江川邸の無料駐車場があります。

 

公式情報 

入場料 一般650円、小・中学生300円
    韮山反射炉との共通券(一般800円、小・中学生250円)

営業時間 9:00~16:30(受付 16:15まで)
       水曜日は9:30~15:00までの短縮開邸
定休日    年末年始(12/31~1/1)
       第三水曜日

引用元 伊豆の観光情報 伊豆の国市観光協会|公式サイト

 

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