熱海の中でもかなり有名な観光スポットです。走り湯は伊豆や熱海の語源に繋がる重要な場所ですし、伊豆山神社はこれまた鎌倉時代に関八州総鎮守の冠を賜る東海関東随一の修験場でかつてはその名を轟かせていた霊場です。ともに歴史ある名実共に強力なパワースポットです。熱海は近年開かれた温泉街のように思われがちですが、こちらを訪れれば如何に歴史とその秘められた力が重要であるかが理解できるものと思います、侮ってはいけません。
走り湯は伊豆のはじまり
随感
熱海と言えば必ずと言っていいほど紹介される観光スポットですが訪れる人は少ない印象です。実はこちら、一説では日本三大古泉の一つに数え上げられているほどの歴史あるスポットなのですが、意外とその事は知られていません。
因みに日本三大古泉には諸説ありますが、こちらは鎌倉時代の正史「吾妻鏡」によるもので、愛媛の道後温泉、兵庫の有馬温泉と並んで数えられています。そのわりには何故か地味です……いや、熱海自体はメジャーなんですけどね。
走り湯の洞窟の近くには走湯神社も建っています。
自分は間違えて走り湯があると思って鳥居の方のに登ってしまいました。ほら、吉田胎内樹型は神社が入口になっていたので何となく鳥居の先にあるように勘違いしてしまったようですw 詳しくは船津胎内樹型の記事を参照に。
狭い境内に入って困惑。周囲を見廻すと下の道の先にそれらしき場所が。どうやら神社への階段を登る必要はなかったようです。せっかくなのでお参りしてからすごすごと戻ります。
走り湯とはおよそ1300年ほど前に発見され、昔はその山中から湧き出した湯が洞窟からそのまま海に湯滝として流れ出しており、その姿ががまさに走るように速いことから名前の由来となって「走り湯」と呼ばれるようになったそうです。
また湧き出る霊湯「走り湯」から走湯権現と呼び、「伊豆」の国名は「湯出づる神」から来ているそうで、ここは伊豆という地名の発祥の地なのです。つまりここは伊豆にとってとても重要なスポットであり歴史ある温泉なのです。
伊豆を訪れたのならぜひとも見ておかないとならない観光スポットであると思いますよ。熱海の名も海が熱かったことから来ているのですからまさにこの場所こそ、その名にふさわしい場所ではないでしょうか。
またこちらを発見したのは伊豆に流罪となった役小角であるとされています。この走り湯の側に小屋を建て修行したと伝わっているます。
小角は七世紀飛鳥時代、修験道の開祖とも言われている方ですね。しかし流刑になったのは伊豆は伊豆でも確か伊豆大島だった気がします。ただこの方、とんでもない方で伊豆大島から富士山頂まで毎日歩いて日帰りしていたという超人でして、その途中でこちらで一汗流していたとしてもさほど不思議ではないのかもしれません。
さて、お待ちかねの洞窟です。日本でも珍しい横穴式の源泉(説明書きには一つだけとも)ということですが、実はどうして横向きに温泉が噴き出したのかは定かではないみたいですね。ただ海蝕で岩が脆くなっていたのでは?と考えるくらいです。
入口まで行きますともうもうと湯気が立ち込めていて、明かりが灯っていても内部の様子が良くわかりません。こちらの洞窟は高さがおよそ150~160センチくらいでしょうか、あまり高くありませんので、少し背を屈まないと入れません。
そして入口まで来るとムッとする熱気が既に溢れています。温度は70度位の湯が沸いているそうなので中はけっこう湯気で満たされていて正直なところカメラ心配な環境です。ですので一気に入って出てこようと思います。
と言うわけでして突撃!
突撃!ちょっと熱!
突撃!もっと熱!!
うお、温泉ボコボコ、湯気凄い! 息が熱い熱い、撤退!
ふはぁ~
湯気があるのではっきりとした写真は撮れませんね。しかも温泉の蒸気は機材に途轍もなく悪い気がします。外に出た瞬間にフィルターが雲ってまっ白ですよw 天然のサウナですよね。実感としては走り湯の由来は中に入った人が熱くて走って出てくるから付いたのではないかと思えてしまいますw
まぁ、ちょっとしたアトラクションですね。熱気ムンムンの洞窟内は長時間いられるような環境ではありませんし、無理は禁物です。こんな場所で決して我慢比べなんてしてはいけませんよ(フラグ立て)
確かに見るところは少ないスポットではありますが、洞窟の中で源泉を見るなどというのは他では経験出来ないであろうし、わりと面白いですよ。また熱海七湯の大湯間歇泉と並び熱海を代表する源泉であり、熱海を熱海たらしめている源流の一つでもあり、温泉の湧くパワースポットでもありますよね。
ここには海を見渡しながら入れる足湯が設置されていました。4、5人掛けの小さな足湯です。呆っと水辺線を眺めながら浸かれる足湯はなかなか乙なものです。訪れたのは日曜日の午後でしたが、他に来た観光客はもう一組だけでしたのでのんびりとできました。たまたま空いていただけかもしれませんが。
走り湯の基本情報
地図
近隣からのアクセス
走り湯は熱海の市街地からは少し離れているのもメジャーな観光スポットになりにくい要因の一つかもしれませんね。位置は市街地よりも湯河原寄り、ビーチラインの途中という微妙な位置となります。
簡単に説明しますと熱海ビーチライン(熱海海岸自動車道)の熱海側の少し手前、伊豆山出口付近、伊豆山港の近くとなります。 熱海ビーチライン利用の場合は湯河原方面、登り方向のみの利用となります。伊豆山出口は熱海方面に戻れません。
135号を北から来ますと伊豆山神社の参道を通過して間もなく走り湯の標識のある左に曲がれる場所があります。ガソリンスタンドの隣でわりと細めでけっこうな急坂を下ります。道なりに進みますと熱海ビーチラインに突き当たり、右は伊豆山港、道なりに左に行くとすぐに走り湯の入口があります。
駐車場
駐車場はありません。
しかし熱海ビーチライン横を併走する走り湯の入口のある道は駐車禁止ではないので路肩に駐車できます。伊豆山港よりの橋の所からは禁止区域なので気を付けてください。また脇に側溝がありますので寄せすぎると脱輪の危険もありますので程々に。
公式情報
住所 〒413-0002静岡県熱海市伊豆山604-10
TEL 0557-81-2631(伊豆山温泉観光協会)
駐車場 なし
アクセス 熱海駅より「湯河原」方面行きバスにて約5分→「逢初橋」下車→徒歩約10分
備考 ※入浴施設ではありません
走り湯を訪れた方、ここは既に伊豆山神社の領域なのです。
入口の案内板に気が付いたでしょうか? そう、ここはもう既に伊豆山神社の参道なのです。伊豆山神社は遥か山の上、海抜170メートル余りの場所にありますが、ここからすでに神社の一部であり、とっても面倒臭い、もといとっても広い神社なのです。まさに「なんだってー」の話しですが本当なのです。
更に付け加えておきますと、実はこちらの地域は度重なる災害で門前町は海の底に沈んでしまっているそうです。ちょっとした海底遺跡です。つまり実際には海底からもう伊豆山神社の領域なのですね。
そして本殿までは837段の階段を登る必要があるのです。因みに走り湯はたったの16段ですw さあ、がんばりましょう!
伊豆山神社は未知にして確かなパワースポット
随感
こちらの伊豆山神社は関八州総鎮守にして伊豆山大権現と尊称された神社です。
かつては伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも呼ばれ、略して伊豆山、走湯山と親しまれてきたそうで、強運守護、福徳和合、縁結び御利益があるとされています。
創建は正確なところは分かりませんが、かなり古く遥か上古に遡るそうです。
また本殿に祀られている平安時代中期に造られた日本最大の木造男神像は、『走湯山縁起』が応神天皇の御世に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影を現しているともあります。
つまり最初は日金山に伊豆大神を祀ったのが起源なのかと思ったら、――大違いでした。
日金山は現在の十国峠付近のことです。そこから伊豆山神社は幾つかの地点を経由して現在の場所に遷座してきた事になります。
現在の御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)(読めない……)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)となりますがこれは時代はわからないものの後年、伊豆大神に冠せられた名前であると見ることもできますが、実は日金山に鎮座していたときには火牟須比命(ほむすびのみこと)が祀られていたとの話し。伊豆大神=火牟須比命? 実はどちらも調べても詳しいことはよく分からない神様たちです、困ったものです。
でもそれもそのはず、この不可解さはこの神社の深い歴史に関係しています。
まず大本となったと思われる日金山は現在の十国峠付近であると先程も書きましたが、他にも火之峰(ほがね)、許々比之森(ここひのもり)とも呼ばれてもいたようです。いずれも火に関する地名のようで、どうもこの地は火との関係が深く有史以前から火を祀る祭祀場として存在していた可能性があります。
この地からは現在でも過去と変わらぬ景色が見晴らせる展望が広がっています。その中には富士山、箱根、伊豆諸島(御島)とこの地を代表し崇められる火山がありますが、こちらにはそれらと直接的な関係は見えません。ここ独自の火への信仰があったと思われますが、この日金山と火の関係は不明のままです。しかしそれが伊豆山神社の信仰の大本にあると考えられます。
そして伊豆山神社略誌には人皇御五代孝昭天皇の御代と伝え、延喜式神名帳に所載の火牟須比命神社は、当社のこととされているとの記述も見られ、日金山に火牟須比命を祀っていたのが文献上の始まりであろうと思われます。
さらに社伝よりますと五世紀当初の頃の仁徳天皇が勅願所としたとされるため、歴代皇族の崇敬が篤く、清寧・敏達・推古・孝徳・後奈良の六天皇の勅願所となったそうです。
またこちらは走り湯の時にも名が出ました役小角が修業した地としても伝わっていて伊豆山神社は修験道の修行場として発展します。
その規模はかなりのもので、後白河院御撰『梁塵秘抄』によれば「四方の霊験所」の一つとされ、信濃の戸隠、験河の富士山、伯耆の大山と同列に記されています。因みに験河の富士山は別記事にしている村山浅間神社のことでしょう。
東国東海での第一の霊場であったともありますでその発展ぶりは相当なものであったことが窺えます。
そのように発展したこの地は修験道の霊場としてかなり優れた地であり、多くの仏教者や行者が修業した事が伺えますが、その中にはかの空海も含まれます。空海も伊豆に所縁のある方で伊豆では修善寺にある修禅寺の開祖として有名ですよね。
空海は大同一年(806)に唐から帰り、その翌年には修禅寺を開いたことになっています。その十年後には高野山を作り始めますからその間の何処かで伊豆山にやってきたのでしょう。小角が伊豆に流されたのが西暦で699年ですからおよそ120年後の事ですね。
また承和三年(836)に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したとの説が有力であることからも空海が訪れていたときはまだ遷座を繰り返していた頃のことだと思われます。
本殿から山道を登った先にある本宮社は承和三年以前の元宮であり、更にそれ以前には中の本宮と呼ばれる場所にあっとされるので、空海が訪れたのはそのような場所にあった頃と推測されます。
その後は源頼朝がこちらで源氏再興を祈願したことが大きな変換ではないでしょうか。頼朝の願いは成就され、後に鎌倉幕府を開くと箱根神社(箱根権現)と共に当社を「二所権現」(にしょごんげん)としました。そして幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」の冠することとなります。こちらを篤く奉る頼朝は多くの社領を寄進したともあり、この時代が伊豆山神社の最盛期であったと思われます。
社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、 駿州、越州に二十三ヵ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記されています。
またこの神社で源頼朝と北条政子が逢瀬を重ねたことに由来してこちらは縁結びのパワースポットとしても有名であったりします。
鎌倉時代の伊豆と言えば蓮着寺の日蓮を思い出しますが、きっとこちらは蛇蝎の如く嫌われていたことでしょうw
江戸時代に入りますと熱海が将軍家御用達となったことからも、こちらとの縁も深く代々の将軍から寄進を受けるなどの待遇を受けていました。
ただこちらの神社はその少し前、戦国の動乱期、地元北条家の篤い崇敬と保護を受けてもいたようです。そのせいか秀吉の小田原遠征の際に焼き討ちをかけられ全焼してしまった経緯があります。
この当時は信長の延暦寺の事柄からも分かるように寺などの僧兵は侮ることができない一大勢力であったことは明白で、「関八州鎮護」を名乗り、実際かなりの勢力を持っていた伊豆山が秀吉の目に邪魔な存在に映ったのは当然と言えば当然だったのかもしれません。
ただそれは歴史の一部としてしかたのない流れであったことではありますが、それにより伊豆山の過去の記録の一切が失われてしまったことはこの神社の歴史を知りたい者にとっては途轍もない痛手になりました。
伊豆山はその成り立ちから遷座を繰り返した理由や、修験道の霊場としての規模や役割、皇族方との関係などなど、不可解なことも多く、長い歴史の中でこの地でどのような出来事が繰り広げられたのか興味が尽きないのですが、それを記すものが一切失われてしまったのは本当に残念です。
そしてこの伊豆山に止めを刺したのがやはり明治政府です。村山浅間神社などと一緒ですね。神仏判然令の影響は本当に応えたでしょう。
こちらはその成り立ちから何かしらの既存の神様の存在が垣間見えており神祇信仰の要素をベースにしつつ、小角の存在が示すように修験道的な教義と、空海の密教などとも密接に繋がりを持っていたと思われ、かなり濃い神仏習合が教義の中心にあったと考えられます。それが外的に神仏分離を強制されたのですから堪ったものではなかったことでしょう。
伊豆山は神社としてその身を残す道を選びましたがその際に仏教色を捨て去り、本来のあり方を失ってしまいました。この結果としさらに過去のことは忘れ去られ顧みる事はできなくなってしまいました。
まぁ、いろいろと形を変えてきた神社ではありますが、今はそんな過ぎ去ったある日のことを胸に秘めつつこちらの神社を参拝して楽しみましょう。
境内にあります手水舎の「赤白二龍(せきびゃくにりゅう)」は伊豆山神社のシンボルで、赤龍は火の力、白龍は水の力を操る温泉の守護神です。夫婦和合や縁結びの象徴ともされています。
また源頼朝と北条政子が腰掛け、愛を語らったといわれる「頼朝・政子腰掛け石」には恋愛成就などのご利益があり、政子もその葉を手鏡の下に敷いていたという御神木の梛(なぎ)の木も有名です。
走湯山縁起と吾妻鏡の、大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た神様の降り立つ光の石もあります。こちらは触ったり座ったりすると光りのパワー(ウルトラマンか?)が頂けるそうですよ。
吾妻鏡に「光の宮」と別名がある雷電社が境内にはあります。こちらは政治を司り導く神様なそうですが、御祭神が面白く、伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)とのこと。としますと本殿の方の伊豆大神は和魂として分離して祀っているのでしょうか?荒魂をわざわざ分ける意味は何なのでしょうか? 因みに熱海街道沿いには雷電社がこのほかに二つあります。
こちらと合わせて何かしらの関係があるのかもしれませんし、街道を守護するような理由もあるのでしょうか? 疑問は尽きませんが答えは難しいかもしれません。秀吉……
等々、こちらは強運守護、福徳和合、縁結びの神様ですが、それ以外でも境内を十分堪能できるものと思われます。興味が湧いたら訪れてみては如何でしょうか。
さて本殿の脇を右に進みますと巨木と白い石の鳥居があります。
そこから先に本宮社に続く道があります。しかし片道一時間近くかかりますので今回は断念しておきました。何だかんだ言っても写真を撮るために石段の半分くらいを上り下りしていますしw
ネットで調べているとたまに本宮社がパワースポットであるように書かれていたりしますが、述べてきたような来歴がこの伊豆山にはあるわけでして本宮社そこだけが特別なパワースポットというわけではなさそうです。
そのような力であれば現在は本殿で十分に担うことができているはずです。ただより原初のパワースポットを望むのならば、いっそうのこと伊豆山神社発祥の地たる十国峠に登る方が遥かに有益な気がします。
ただそんなことは構わずに本宮社に参拝したいのだというのもまたそれはそれで得難いものだと思いますので行ける方は訪れてみてください。ちょっとしたトレッキングにも良いかもしれませんね。
熱海といえば花火が有名ですよ。
伊豆山神社の駐車場などの基本情報
地図
近隣からのアクセス
135号伊豆山の交差点を入り102号を登ります。3つくらいカーブを抜けると102号はU字に曲がり、その頂点に熱海駅方面の標識がありますでそちらに真っ直ぐ進みます。
鬱蒼とした木立の先で参道と交差するので右側の鳥居のある方、参道脇に入り、すぐ右手に鳥居下の駐車場があります。伊豆山神社を楽しむためにはこちらの駐車場が良いでしょう。
ここからですとあと250段ほどで本殿で参道脇には小さいですが祖霊社、役の小角社、結明神社などもありますのでより楽しめます。
更に楽をしたい方は道をそのまま進みますと間もなく本殿脇の駐車場への入口が右側にあります。
※本宮社付近まで車でも行けますが、そちらはご自分で探してください。
駐車場
上記の場所に参拝者用の無料駐車場があります。
公式情報
参拝順路
JR熱海駅から伊豆山神社までバス(伊豆山神社行、又は七尾行)で約7分。住所 静岡県熱海市伊豆山上野地708 番地1
TEL 0557-80-3164
他にも熱海の記事はありますよ。