富士山を信仰する富士講の発展により富士山の麓は活性化し御師住宅が並ぶようになったのです。
富士山世界文化遺産14
富士山信仰 富士講と御師
構成遺産に指定されている御師住宅を紹介するにあたり、まず最初に富士講と御師について説明します。
これを理解しないとせっかくの構成遺産もただの古い家に過ぎなくなってしまうからです(それでも十分見応えありますが)
富士山の信仰は山宮浅間神社の形態から神社などが誕生する前からあったとも推測されます。
そこまで行かずとも平安時代には既に富士山を祭り崇めたことが様々な文献から読み取れます。
そして役小角(えんのおづぬ)や弘法大師などの歴史上の有名人が修行したとの伝説も数多残されてもおりますが、富士山のカリスマ性を鑑みれば事実と伝説が絡み合いそれらしいお話として残るのも当然かもしれません
古くから山岳修行を行う修験道は、飛鳥時代に件の役小角(役行者)が創始したとされています。
そして平安時代には修験道は盛んになり、富士山も役行者の修行の場として修験者たちの間で人気があったことは想像に難くないでしょう。その頃のことは修験道と関わりが深い村山浅間神社が当時は隆盛を極めたことからもわかります。
そんな修験道の行者の中で、戦国時代に角行という行者がおりました。
角行は役行者よりお告げを受けて富士山麓の人穴で修行を行い様々な霊験を得て人々を救済し、いわゆる富士講の開祖となります。
江戸期、その弟子となった者たちは角行の教えを広め、富士講は江戸で大きく広がります。
信者は参拝講(講とは信者たちの集まりです)を作り、それぞれが聖地である富士山へ繰り返し登拝を行うようになりました。
江戸時代後期には数多くの講があり「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどであったそうです。
そんな大量の登拝者を受け入れるために富士山周辺では御師宿が発達します。
富士山に登るといっても当時はそこまでも何日も徒歩できます。麓にはそれらの人々を受け入れる宿はどうしても必要でした。
またそもそも富士山は聖地です。俗世の穢れを纏ったまま聖域に踏み入ることは許されません。登拝する前に身を清める必要があるのです。
そんな富士講の人々の欲求を受け入れ指導し、また布教活動に勤しむ立場の者が「御師」なのです。
御師は富士講の先達であり登拝に参った参拝者に禊ぎをさせ宿を提供し祈祷をして富士山へ送り出す役目を担っていました。
そのような富士講における御師の家がたくさんより集まったのが吉田町です。
上吉田には江戸時代には現在の「富士みち」の通りに面して細長く86軒もの御師の家が軒を連ねて大変賑わっていたそうです。
そして今現在も幾つもの御師住宅が残っています。
そんな御師の家の中の二つが構成遺産に選ばれたのでした。
旧外川家住宅
随感
外川家は代々富士山の御師を勤めてきた家で、旧外川家住宅の母屋は1768(明和5)年に建造され、現存する御師の家の中でも最も古いお屋敷となっています。国の重要文化財そして構成遺産でもあります。
富士みちは緩い坂の真っ直ぐな道でこの両側にかつてはたくさんの御師住宅が軒を連ねていたのだろうと想像すると圧巻ですね。今でもその名残かここを車で走っていても特別な場所感が伝わってきます。
車はそのまま「御師町お休み処」に駐めればいいでしょう。
駐車場のすぐ脇から外川家に続く通路があり歴史を感じる門構えが迎えてくれます。
門をくぐると禊ぎ使われたヤーナ川が心地好い音をたてて流れているのが見て取れます。
建物内は独特な奥に長い作りで多くの人が一度に寝泊まりできるように作られています。中は幾つも部屋が連なり多くの人が一度に寝泊まりできるようになっており、余程多くの人がここを訪れたことを感じさせます。ここ一つでどれだけ信者を抱えていたのでしょうか。それがここに八十数件も軒を連ねていたのですから富士講の信者数は膨大なものであり、江戸幕府が危機感を憶えてときに講を潰すように働きかけた気持も判らなく無いですね。それだけの信仰の重みと強さを感じさせ考えさせてくれる場所です。
一般情報
地図
近隣からのアクセスと駐車場
北口浅間神社の方から富士みちを下り「御師町お休み処」の脇にあるのがこちらの邸宅です。車は「御師町お休み処」に無料で駐められます。
公式情報
住 所:山梨県富士吉田市上吉田3-14-8 TEL:0555-22-1101
観覧料 外川家:大人100円(80円) 小中高生50円(40円)(ふじさんミュージアム、レーダードーム館との共通券もあります。詳しくはリンク先からお願いします)
英語による音声ガイドも有り
ふじさんミュージアム
山梨県富士吉田市上吉田2288-1 TEL 0555-24-2411
小佐野家住宅
※こちらはふじさんミュージアム内の復元された小佐野家御師住宅です。
随感
こちらも旧外川家住宅同様に構成遺産に組み入られておりますが、未公開となっています。
富士みち沿いに住宅はあり、看板がありますが建物は深く引っ込んでいるのでよく分かりません。
※こちらの写真は現物の住宅がある場所ですが道に面してこのような門構えとなっていて、建物は深くて遠いためよくわかりません。
御師の宿坊として代表的な建築物で文久元年(1861)に建築されたものだそうです。
富士山御師の宿坊としての形態をそのまま残し、一部二階、切妻造りで、再後部に神殿を配した御師住宅の一般的な形式を伝えています。
また全国でも数少ない社家造りの例として貴重なものとされ昭和51年に国の重要文化財に指定されてもおります。
実物を見ることはかないませんが、ふじさんミュージアムの外に現存する小佐野家住宅と同家所蔵の古図をもとに昭和58年(1983)に復元した模造の建物があります。
模造といってもとても立派な建物であり、中には何も置いておらず障子も襖も開け放たれているのでとても広々としているように感じます。また博物館の敷地の中で周囲の環境も良くゆったりと中の様子を見学できます。
こちらの建物は環境もさることながら模造品のためか良くも悪くも人の息吹が染みついていなくてさっぱりとしています。その為か居心地が良いような気がします。
玄関に入るとチャイムが鳴って藤岡弘さんの声で案内が始まりますよ。あの声で語ってくれますw
基本情報
小佐野家住宅の場所(非公開)
地図
復元された 小佐野家住宅の場所
地図
近隣からのアクセスと駐車場
ふじさんミュージアムは138号沿い、富士山レーダードーム館の向かいとなります。
復元住宅だけ見たい方は道の駅に入る交差点の向かいの駐車場に車を止めると近くて便利です。
公式情報
ふじさんミュージアム敷地内
観覧料無料
山梨県富士吉田市上吉田2288-1 TEL 0555-24-2411
富士講に関連してこちらの記事も楽しめます。